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【嫌われる勇気レビュー】誰かの期待に応える為に生きてはいけない

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「人は今この瞬間から幸せになることが出来る」

こう言ったのはあのアドラー心理学で有名なアルフレッド・アドラー

アドラーは

人間の悩みは全て対人関係にあるとし、悩みを消し去るには宇宙のなかにただひとりで生きるしかないと言っています。

とはいえ世界に自分がただ一人になることは不可能。

 

つまり人間はこのまま一生悩み続けるしかないのか?

いや違います。

この記事では今回は2013年に発売され、2020年7月時点で国内で220万部の発行部数を記録したベストセラー書籍

嫌われる勇気」

より対人関係においての悩みについての解決策、考え方について抜粋していきたいと思います。

日々の生活で対人関係に悩んでおられる方の参考になればと思います。

劣等感は使い方さえ間違えなければ成長の促進剤になる

人間関係で悩んでいる人はまずもって、「劣等感」を持っていると思います。

人間なら誰しもがこの「劣等感」をもっていると思いますが、アドラーは「劣等感」をもつことはなにも病気ではなく、使い方さえ間違えなければ成長の促進剤になると言っています

 

つまり劣等感をバネにするということ

たしかに昔貧乏だった人が、血のにじむ努力をして成りあがるというストーリーを僕たちは確かに目撃しています。

 

ではなぜ劣等感があるだけで悩み続ける人がいるのか?

それは一歩踏み出す勇気をくじかれ、「状況は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられない人が存在するからです。

 

なにもしていないうちから「どうせ自分なんて」、「どうせがんばったところで」と諦めてしまう。

劣等感と劣等コンプレックス

先程も書きましたが「劣等感」はなにも悪いものではない、むしろ努力に向かわせてくれるものだと書きました。

だが一方の「どうせ自分なんて」と考えてしまう人はアドラー曰く「劣等コンプレックス」になるのだと。

 

ついつい同義語で使ってしまいがちなふたつの言葉ですがそもそも劣等感=コンプレックスとはなりません。

コンプレックスとは複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語で劣等感とは関係ありません。

 

つまり劣等感をもっているからこそ

「私は学歴が低いから、誰よりも努力してやるぞ」

と思えるわけで

「私は学歴が低いからなにをしてもだめだ」

と考えるのは劣等コンプレックスにあたるということ。

つまり、

実は努力をしたくないだけなのに、やらない若しくは出来ない言い訳

 

として劣等コンプレックスを使っているということです。

他者からの承認を求めてはいけない

仕事で成果をだした時、上司や仲間からほめてもらう。

いたって普通のことだと思いますがアドラーはここに危うさが潜んでいると言います。

 

他者から承認されるということは確かにうれしいことです。

ただ絶対に必要かと言われると、そうではない。

 

・適切な行動をとったら褒められる

・不適切な行動をとったら、罰せられる

アドラーはこうした賞罰による教育を厳しく批判しています。

なぜかというと賞罰教育の先に生まれるのは

・褒めてくれる人がいなければ、適切な行動などしない

・罰する人がいなければ、不適切な行動をとる

というライフスタイルです。

誰かの期待を満たす為に生きてはいけない

つまり人は誰かの期待を満たす為に生きているわけではないし、誰かの期待を満たす必要はありません。

他者からの評価ばかり気にしているといつの間にか他人の人生を生きることになります。

 

人は自分だけの人生を生きています。究極的には「わたし」のことだけ考えて生きています。

ずいぶん身勝手な意見かと思われるかもしれませんが

『もしあなたが誰かの期待を満たす為に生きているのではないとするならば、

他者もまたあなたの期待を満たす為に生きているのではない』

です。

 

相手が自分の思う通りに動いてくれなくても、怒ってはいけません。

それが当たり前だということです。

他者の課題には踏み込まない

これは誰の課題なのかと考える癖をつけましょう。

アドラーはおよそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされると言います。

 

だから常に「これは誰の課題なのか?」と考える。そして他者の課題には踏み込まない。

イギリスの諺で

「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることは出来ない」

という言葉があります。

 

これこそまさに課題の分離そのもので、馬を水辺に連れていくのは自分の課題、水を飲むかどうかは馬の課題というわけです。

仕事に置き換えると、部下に仕事を教える(指示する)のは自分の課題で、それを部下がどうとらえて実践するかは部下の課題ということになります。

この「課題の分離」は日常生活にもかなり応用が効くので常に頭の中に「これは誰の課題なのか?」と考える癖をつけることを強くお勧めします。

最終的には自分の信じる最善の道を選ぶこと

承認を求めてはいけないとは言ったものの、一般的なサラリーマンだと年に1回や2回必ずといっていいほど他人から評価される若しくは評価する時期がやってきます。

ただ人はみな自分の為の人生を生きているのだから、

自分に出来ることは

自分の信じる最善の道を選ぶこと

しかありません。

 

一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

相手が自分のことをどう思おうと、好いてくれようと嫌っていようと、それは相手の課題であって、自分の課題ではありません。

自由とは、他者から嫌われるということ

全ての悩みは対人関係の悩みである。つまりわれわれは対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めています。

しかし、世界でたった一人で生きることなど絶対に出来ない。

では自由とはなにか?

 

それは他者から嫌われることです。

人間だれしも嫌われずに生きていきたいと考える。

 

でもすべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、不可能です。

だから他者の評価を気にかけず、

他者から嫌われることを恐れず、

承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことは出来ません。

まとめ

いかがだったでしょうか?

個人的には

・劣等感は使い方次第で努力する理由になる

・自分に出来ることは自分の信じる最善の道を選ぶこと(課題の分離)

この言葉がずっと心に残っています。

当然今回紹介した部分以外でも、勉強になることがたくさん書かれているのでこの機会にぜひ読んでみてください。

  • この記事を書いた人

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